書は何を以って芸術と成りうるのだろうか?《前編》

書は何を以って芸術と成りうるのだろうか?《前編》

2021.9.16 玉筍会研究会第1回 講師 玉筍庵 純陽子

芸術とは何か!

「藝術」  ウイキペディアによると表現者あるいは表現物と、鑑賞者が相互に作用し合うことなどで、精神的感覚的な変動を得ようとする活動。

 

西洋近代画は平面(二次元)のキャンパスに遠近法(空気・ 線)を駆使して立体(三次元)を描き出しました。では東洋の書は何を以って立体を求める事が出来るのでしょうか?

 

YouTube・書の原点に立ち返ろう】でお話している通り、本来書は卜占でありました。今から5~6千年前の事です。漢字は甲骨に刻まれ、青銅器に鋳込まれ、そして石に彫り込まれました。

石に直接書き刀で掘った。本来、立体(彫刻)だった訳です。

中国では西暦100年には既に筆・硯・紙・墨が総て成立していました。

紙に書いても平面的ではなく、滲む紙の場合は墨が裏まで沁みとおり。

滲まない物の場合は上に墨が盛り上がる。まさに立体(三次元)の世界です。

 

現代の日本の筆使いでは紙に書くことしか出来ず、挙句の果ては石に彫るのもまず紙に書いてから、それを石に貼り付けて彫られています。本末顛倒してしまいました。藝術ではないのです。

書は言葉を書き記すことです。音として出る出ないにかかわらず、必ず口で言いながら書きますね。

目に見える文字の形のみに拘って、三次元・四次元の世界からは程遠い。単なる文字を借りたデザインではないでしょうか?

 

要するに作品が生きていなくては、我々は感動することは出来ません。

 

 

書に携わっている我々は書聖・王羲之を十分存じております。しかしながらあくまで名前を知っているというだけの事ではないでしょうか!?

 

石窟で神人から教えられたと言われている正統的用筆法は中国では古来より大切に守られ、秘密裏に伝えられて現代に至っています。

名品といわれているものは、必ずこの用筆法が正確につかわれ、逆に、正しい用筆法無きものは名品とはなりません。歴史上、名品を残した数多くの人達が書法を論じていますが、私は北宋時代の蘇軾の

『東坡論書』を取り上げて、お話させていただきます。

 

真の書藝術 中国正統的用筆法の世界

【書は何を以って芸術と成りうるのだろうか?《前編》】

玉筍庵 書画教室

書画作家 純陽子